WRCとはどんな競技?
WRCの歴史を知りたいですが
ラリーって一体いつの時代から始まったの?
ラリーって自動車を速く走らせる競技ですか?
判りました!少しだけ自分の判る範囲でお答えしましょう!!!!
WRCとは、ワールドラリーチャンピオンシップの略称
ラリーの起源としては1911年のモンテカルロラリーが始まり。
パリ、ベルリンなどから23台の車がモナコを目指し
5日間かけて自動車の競技を開始したのが始まり。
RALLYとは Re(再び)Ally(集まる)が語源で
創設期は社交的なイベントだったようですね。
昔も今もラリーは定められた時間通りにルートを走る正確さを競う
レースであります。
たしかにスペシャルステージ(閉鎖された道路を使い速いタイム
だけを競う区間)は有りますが、実はラリーの基本は今も
指定時間通りにチェックポイントを通過するという原則は同じです。
さて、ラリーが世界的な規模に拡大したのは1973年に
国際自動車連盟(FIA)の元、年間13戦を世界各地を転戦した時からです。
1月のモンテカルロラリーを皮切りに。
初代チャンピオンカーはルノーアルピーヌA110。
当時はマニファクチャラーズ(製造メーカー)だけの選手権で車だけの
競技としてスタートし後にドライバーズタイトルが追加された。
WRCとはどんな車でラリーするの?
マシンのグループ分けとして当時は
・グループ1(量産ツーリングカー)
・グループ2(特殊ツーリングカー)
・グループ3(量産グランドツーリングカー)
・グループ4(特殊グランドツーリングカー)
このグループ4が、のちのグループBと言われる
モンスターマシンが群雄割拠するカテゴリーへと進化した。
当時活躍したのが今でも有名な、ランチアストラトスである。
フェラーリ製エンジンを積んだミッドシップ型で1974年から
3年間他を寄せ付けない強さで勝ち続けた。
1981年からはアウディが参戦しラリー界の大きな革新に繋がった。
当時はFR(後輪駆動)が殆どの世界だったが
アウディが四輪駆動車を持ち込んだ。
第2戦はスエディッシュラリーでハンヌミッコラが優勝し、
サンレモラリーでは女性初の優勝者ミシェルムートンが
優勝するなど4WDが大活躍しこの頃から4WD一辺倒になっていった。
しかしエンジンがフロントに置かれるいるのでフロントヘビーで
アンダーステアに悩まされたが補って余りあるパワーを持っており
その圧倒的なパワーを確実に伝える駆動力で無敵の強さを発揮する。
1982年には大きな車両規定が行われた。
いわゆるグループBと言われたカテゴリーの登場。
ラリー専用に開発された後輪駆動のグループBカーの
ランチアラリー037が登場しアウディ(グループ4)との闘いになる。
1983年開始からグループBカーワンメイク状態になり
ランチアラリー037とアウディクワトロの戦いになった。
ランチアラリー037は後輪駆動でありながらもミッドシップの
エンジン設計でバランスが良く又活躍し信頼性の悪いアウディに対し
マシンの優位性でその年のマニファクチャラーズタイトルを獲得する。
しかしこの年だけの強さであって1984年は改良を施した
アウディクワトロ車が殆どのラリーを勝ち続けるという強さを発揮した。
その年ランチアラリー037が勝てたのはわずか1戦で
ターマックラリーのツールドコルスだけです。
その年はアウディクワトロの熟成が進みパワーアップしとても強かった。
1984年はプジョー205ターボ16がデビューした年でもある。
車体はモノコックと鋼管フレームを組み合わせたシャシーに軽量な
カーボンケブラーのボディをのせた戦闘力のあるマシン。
ミッドシップ4WDで車のバランスが際立ち1985年1986年に渡って
メイクスタイトルとドライバーズタイトルを総なめにする。
しかしアウディも負けじとボディーを小さくしたスポーツ・クワトロ、
そしてエンジンを強化したスポーツ・クワトロS1で対抗した。
時に500馬力以上ものパワー競争がし烈さを物語った。
いわゆるF1よりもこの時代のグループBマシンのほうが
パワーは大きかった訳である。
1985年にはランチアデルタS4がデビュー
ツインチャージ、カーボンケブラー製、ミッドシップ
過給エンジン、四輪駆動という極限を追い求めたマシンであった。
1986年にツールドコルスのターマックラリーで
ヘンリ・トイボネンのドライブするランチアデルタS4はコーナーを
曲がり切れずにコースを転落しコドライバーと共に死亡。
この事故を含め数々の重大な事故を引き起こし翌年FISA会長は
グループBの終了を発表する。
かつてデルタS4をドライブした、ミキ・ビアシオンは
「強烈に魅惑的だったよ。僕に最も感動を与えてくれたラリーカーは
間違いなくS4だった。狂った馬を抑えつけるような感覚なんだ。
ドライバーにとって支配する喜びは何物にも代えがたい」との
コメントを残した事で有名になる。
グループBの終焉後は?
危険極まりないグループBの廃止後は
グループA(市販車改造クラス)のみとなり
その後長くグループA時代が続き1990年台は
日本車メーカーの独壇場になった時代でもあります
トヨタ、三菱、スバルが年毎に活躍し日本車が勝ち続いた時代である。
その後は現在も続いているWRカーと言われるカテゴリーに
落ち着いた訳であります。
2000年からはほぼヨーロッパのマシンで上位を独占されてしまい
日本車はトヨタ、三菱、スズキ、スバルの順にワークス活動から撤退し
現在のWRCへと繋がっている。
特にシトロエンのセバスチャン・ローブは2004年~2012年迄の9年連続で
チャンピオンを独占するという偉業を成し遂げた程ヨーロッパ車の時代が
今も続いている。
ついに!トヨタが再びWRCへ復帰します!
日本車がWRCフィールドにカムバックすることは
もう絶対に無いと思われていたが・・・。
なんと!トヨタが2017年からのWRC復帰を発表(^^)
ヤリス(日本車名ヴィッツ)にてのカムバックである
ここ2年程はフォルクスワーゲンが強く1強状態が続いているので
ここはトヨタに頑張ってもらい再びトップに上り詰めるのを
期待し又見届けていきたいですね。
更には三菱やスバル、日産やスズキ等
一時は黄金期を飾った日本車で独占してほしいですね。
そんな時代が又やってくるのを夢みております(^^)
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