私の姑は、後妻さんで、舅がいきなり連れてきてこのまま…だそうです。
で、舅が結婚の時にいった言葉が(プロポーズ?)
「農家の仕事は手伝わなくていいから、好きなことだけしていていい」だったそうです。
あれ??いない!?
結納の日、元夫一族がやってきた。
おごそか?に行われた結納ではあったが、あり得ない事実が!
そう…いなかったのです、そこに姑が。
まさかの出来事で、私は唖然…
私側サイドは気がついても、騒ぐことはできず、波打ってました。
やっぱり??いない?!
結婚式場で、私は気が付いたのです、姑の姿がないことに!
披露宴の最大なイベントで、花嫁から義母に花束を渡すシーン。
私が渡した相手は、舅の妹でした。
当然、私の両親は気が付いており父が憤慨!
親戚たちは、またまた波打ちました。
後から大姑から聞かされた事実は
『結婚式会場のことで舅とモメた姑は、自分の意見が通らないことに腹を立ててボイコット。結婚式当日、姑は舅の従妹と温泉に旅行に行った』そうです。
そして、新婚旅行からも戻ると、そこには姑のにこやかな姿が!
Σ(- -ノ)ノ????
姑 建て前?本音?
初めての妊娠中に、大姑が病に倒れたのです
吐き気を訴え、苦しんでいました。
そこへ、舅から連絡をもらった姑が住み込み先のホテルから戻ってきたのです。(なぜか、私が嫁に入ったとたん、出稼ぎ?に出た姑!?)
そこで一言。
「私が、食事を作っていた時は、一度も病人を出したことはなかったわ。食中毒よ!」
病院での診察結果は、「腸重積」でした。
夜、緊急手術をすることとなり、みんなで病院へ行こうとしていた時、「あなたは、妊娠中だし体のためにも家にいて安静にしていなさい。わざわざ病院に来ることないわ」と姑が言い放ったのです。
私は、夜たった一人で心細く留守番をすることに…。
そんなとき、電話が…
大姑の病院へ駆けつけた実家の父からでした。
病院で親戚の皆様が集まっている中、姑が「うちの嫁は、大姑が緊急手術するっていうのに、病院にもこない!」と発言したから、その事実確認の電話でした。
一晩泣いてました…
姑 初 志 貫 徹 !!!
プロポーズの言葉通りに、姑は一切農家仕事を手伝いませんでした。
わたしといえば、大きなお腹をしながら、稲の苗に水かけとか、田植えの苗運びに苗をいれていた容器洗いに、昼の支度。
田んぼの薬まきに駆り出され、子どもは、アルトの後部座席を倒して広くした荷台に車を走らせ昼寝させてから、そのまま寝かせてお手伝い。
幼稚園に子どもを送り届け、そのまま手伝いにきている舅の妹を迎えに20分車を走らせ戻ってそのまま元夫がやっているハウス栽培のお手伝い。11時にまた舅の妹を自宅に送り届け、戻ってきてから昼の支度。
午後1時になってからまた、舅の妹のお迎えにはしり、戻ってきてから昼ご飯の片づけをしハウスへ。
3時に子どもたちのお迎えに行って、4時に舅の妹を送り届けて、夕飯の支度に風呂の準備。
日が暮れる頃、大姑がハウスから戻ってきて入浴後、一緒に夕飯。
合間に、3人の子どもと入浴。
元夫は、配達や跡仕事?があるので、どっぷりと暮れてから帰って来て夕飯。
それからまた、後片付け。
毎日、こんな日々を過ごしていた私と、家族とは絶対に一緒にご飯は食べない姑。
人の作った食事は決して食べない。
自分のことは、自分で。
好きなことをして、毎日を有意義に過ごしていた姑です。
姑 恐怖のおもてなし
農家なので、田植えと稲刈り時には、親戚が手伝いにきます。
その親戚の方たちにお昼ご飯を食べていただかないといけないのです。
お昼になって、みんなが食卓についた途端、姑は台所に出てきて、調理を始めます。
そして、作ったものを、テーブルに並べはじめ、みんなに
「さあ~ 食べて」と
で? 食べ残されたお昼は…私のです。
姑 毎日1日30品目
朝昼晩、1日30品目を食べさせていたと、豪語なさった、”姑様”
そして、残り物は次の日に食べさせたことがないと自慢なさった、””姑様””
ある日…あの日…この日も、みんなが食卓を囲んで食事をする直前、姑がさっと調理をして
「さ、おいしいもの食べて」
調理の腕は確かな姑。
当然空になるのは、姑の皿。
私のは?
食べ残しは次の日に食べてもらえることは、できません…
ま と め
なんでもやられた人の方が、よく覚えているもので、今でも鮮明に思い出してしまう自分が怖い(笑)
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